2018年10月2日火曜日

GWは鳥海山へ 今年は東面の大斜面

4月29日(日)~5月2日(水)

2014年からGWの鳥海山詣でを続けてきた(2016年はだけは少し早い4月上旬)。
数年にわたる鳥海山通いには新山の頂上から千蛇谷を中島台まで滑走することを追い求めて
いたところがりあり、その念願も昨年(2017年)ようやく叶った。
その昨年、視界が晴れて七高山の火口壁を新山へと降りる手前で眼前に広がる東面(百宅方面)を目にした。そこは千蛇谷のような凹状の地形ではなく直線的な一枚板の斜面で、その広大さに
アッと息をのんだのだった。その時から次はこの東面をやるしかないと決まった。

七高山虫穴岩から見下ろす東面(百宅方面)の大斜面  2017年5月2日

4月29日(日)

関越道で新潟を経由する日本海ルートで鳥海山北面猿倉温泉のホテル「まさか」へ向かう。
途中やっぱり鶴岡・羽黒町の北川食堂の肉うどんが食べたくなって昼食に立ち寄る。
北川食堂からは清川に出て最上川沿いに走り、鮭川、真室川を通るアプローチを取った。
「まさか」に入る前、百宅集落、法体の滝を偵察した。
宿にはチームオレンジの常連、K副、K田、U田が到着していた。



 
今年も鳥海山にやってきた
左:猿倉からの夕刻の鳥海山     右:百宅集落の田にはまだ雪が残っている
 
4月30日(月・祝)
 
今年の鳥海詣でのメインディッシュは東面滑降だが、“北面に入ってみる”こともテーマの一つ。
鳥海北面はなんといっても何といっても新山の頂上直下からh標高差700mの俎板を立てたような
北壁だが、そこに手が付かなかったとしても新山を中心に鷲が羽を広げたような広大な北面を
登下降してみたかった。
 
祓川を起点として七高山北稜に一つだけ開いた窓を乗越して北面に入り、また祓川に戻るという
一日を過ごした。メンバーはK副、K田、U田とワシの4人。
 
 
鳥海山の北面   2017年5月1日撮影
真正面の白い一枚バーンが北壁
千蛇谷は三角形の右側を巻き込むように走っている
 

祓川を出発する 良いお天気!
 
祓川(1,200m)から竜ヶ原湿原の上部を西にトラバースしていくと1,320mの地点が北面に入り込める窓である
七高山の北稜の斜度が落ちた地点 ここだけが藪、灌木が薄い それでも少し藪を漕ぐ
 
北面側から越えてきた窓を振り返る



新山北壁直下で一本
ここから北壁を登り上げようか、、、ちょっと迷う


なんとなく弱気になり 北面をクライマーズライトに大きく回り込んで荒神ヶ岳に登っていく
 
  
雪が切れたので登行を終了 1,900m+あたりと思われる
左写真背景の左ピークが新山、右ピークが荒神ヶ岳 まだ300mある

戻りの滑走 
スキーヤーはU田さん




一日お天気が良く雪も上部まで緩み硬いところはなかった。もし北壁を登り上げていたら(傾斜が
急なのでスキーを背負ってツボ足の直登になったろうが)新山まで行けたのではないか、、、
新山まで届かなくても700mのストレートバーンの核心部は滑れたのではないかという気がする。
踏み込むのを躊躇させたのはやっぱり膝の右膝不具合だった。
 
夕方「まさか」に帰ると、M輪、M徳、S木夫妻が到着しており、今年の鳥海山詣での全メンバーが揃った。

 

5月1日(火)

好天が終日約束された日。いよいよメインディッシュに取り掛かる。

東面の滑降ルートはK副氏がと地図や航空写真や過去の記録等を駆使し綿密な設定を終えていた。
そのルートは昨年虫穴岩から斜面を見下ろし滑りをイメージし目で追っていったラインとほぼ一致
する素晴らしくナチュラルなラインになっている。頂稜から見ると明瞭な雪田が見えるが、それが
御田ヶ原でK副氏は御田ヶ原ルートと名付けていた。登山道と林道はもう少し南に付いているが
スキーの滑走ラインとしては御田ヶ原ルートが素直なラインだ。

祓川から8人全員で七高山に登り、K副、K田、U田、M輪、ワシの5人は東面を法体の滝へ滑走。
M徳、S木夫妻の3人は祓川に滑走。
法体の滝へ降りた際のピックアップを真坂氏に頼んだ。



祓川から七高山を目指す
舎利坂(写真頂上の左下の斜面)の登行は今年も辛かった

パーティーの面々
 
 
 

七高山山頂から外輪山を少し進んだところが滑走開始点
これから標高差1,600mを滑る
中央やや左の膨らんだ雪田が御田ヶ原だ
我々しかいないノートラックの大斜面にスキーを走らせる


随分降りてきたがまだ半分にも達しない
御田ヶ原の手前あたり


御田ヶ原を過ぎた 
この後コーヒーを沸かして大休止
ブナの林間滑走になりルート選択や地形の判断が難しくなる

滑走はこれまで経験したどのスキー滑走よりも素晴らしいものだった。
そして最後のドラマが待っていた。
最初から想定はしていたがこのルートのポイントは最後半、下玉田川と朱ノ又川の合流点近くに
どう降り立って、下玉田川をどう渡るかだ。渡渉も想定し、そのためにロープ30mも用意していた。
地図とGPSを頻繁にチェックしつつ予定していた下玉田川を見下ろす崖の上にでた。この崖には
一本だけルンゼ状の沢地形があってそこを横滑りで難なく降りることができた。ただ雪の幅は3m
くらいしかなかった。そして最後の渡河。期待していたスノーブリッジは見当たらない。少し上流
に堰堤があり行ってみると両岸に鉄の足場が打ち込んでありコンクリート張りした川床を通行する
ことができるようだが、時間が午後3時を回り雪解けが激しく水深は脛から膝と想定された。
裸足になりサックとスキーを背負って膝深の40mを渡る自信はどうしても沸いてこなかった。
それではもう少し下流を見てみることにして向かうと、果たしてギリギリ繋がったスノーブリッジがあった。
ただし、中央部分は厚さ10㎝もないくらい薄い。もう後一日も寿命がないくらいのブリッジだ。
ロープを出し、ウエイトの軽いK田氏が空身で渡る。その後K副氏も渡り、ロープでザックとスキーを
受け渡しし、その後空身の人が渡った。この渡河にあれこれ1時間半は費やしたと思う。
何とか最大のポイントだった下玉田川の渡河に成功!
鳥海山の山の神様は一つだけスノーブリッジを残し、それをギリギリ見つけ出した我々に微笑んでくれた。

下玉田川をギリギリ残ったスノーブリッジで渡河
ザイルを出し確保をしている
ブリッジの中央部分に木の枝が一本置いてあった
 地元の猟師か山菜取りがやはりここを渡った時に踏み抜かないように置いたものと思われた
このブリッジも見落としそうだったが雪に消えかかった足跡のようなものがありそれで見つけることができた
地元の山人の知恵は深い
( 雪解けの時の渡渉は明け方から午前8時か9時までにすべし 
したがって猟も山菜取りも川を渡るならその時間で終わり )
 





法体の滝まで迎えに来てくれた真坂社長とK副氏


祓川からの登りルートと東面御田ヶ原滑降ルート
赤は法体の滝までの徒歩区間

法体の滝-奥山放牧場間の車道はGWには通常開通するが
今年の開通は5月2日(水)となり我々は滑走終了後4kmを歩いた
5月2日(水)

今日もお天気がいい。今年のGWの前半は絶好のお天気が続いたことになる。
ワシは単身帰京。他メンバーは鳥海ブルーラインから西面、笙ヶ岳に出掛けて行った。

真坂社長から昨日の下玉田川渡河地点の堰堤の上に朱ノ又川と赤崩沢の水を袖川発電所に
導水するための調整池があり、その管理をするために赤崩沢まで道が付いており、赤崩沢には
恒久の吊り橋がかかっていると聞いた。今日朝から奥山放牧場-法体の滝間の道が開いたので
帰路に就く前にその調整池の偵察をした。根性があれば足拵えをしっかりして吊り橋まで下りれば
良かったのだが昨日の激戦(特にスキーを背負ってブーツでの最後の4kmの車道歩き)で膝の
拘縮が強く、沢を見下ろす崖上からの写真撮影だけに留まってしまった。見下ろす河床には
木々の枝で見え難いが人口の構造物と吊り橋のようなものが確認できたのだった。
ただし、朱ノ又川の水を調整池に導く導水管*1(空中に掛かっているはず)は見えなかった。

*1: 朱ノ又川取水と導水管についてはこの後K副氏がgoogle earth、文献、論文等を駆使し、
    朱ノ又川の水は硫酸に近いほど酸性度が高く、発電所の水としては使えないため導水は
    おこなわれなくなり、調整池への導水管も今は存在しない旨の論考を書いている。
 

袖川発電所用水の調整池 法体の滝-奥山放牧場間の道路沿いにある


調整池の先の赤崩沢崖上より河床を見下ろす
吊り橋は中央ちょっと上にある
御田ヶ原ルートを最後赤崩沢沿いに降りてきて写真左上の急斜面をおりるとすぐ吊り橋
調整池にはもう一度河床から登り上げる

偵察の後、新庄へ出て、山形、米沢、東北中央道、東北道で帰宅した。



鳥海山 今年もありがとうね!!!
 




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