群馬の富岡製糸場がユネスコ世界遺産に登録されることが決まったとたんに
おおぜいの人が押し寄せるようになった。地域振興を図らねばならない地方自治体や
住民とってはたくさん人が訪れてくれることは確かに良いことだが、
行列に並ぶのは大の苦手だし、ちょっとばかり興醒めでもある。
開国と明治維新。列強にのみこまれないよう近代国家として体制を作り上げるのに
どれだけ生糸の貿易で稼ぐ外貨が役立ったことか。製糸場の建物や施設を見学するだけでなく、
生糸が横浜まで運ばれた道を自転車で辿ってみたいと思った。
距離はおおよそ150km。1日で走れる距離だが、それには前日富岡に入っておく必要がある。
そこまで自転車を運び、横浜からも戻るので公共交通機関をつかった輪行が必要だ。
自転車をばらして入れる輪行袋を購入し、走行ルートの設定も終わっていたが、
いつの間にか11月も下旬になってしまっていた。日が短くなり時期を失したかと半分諦めかけていたところ
勤労感謝の日の3連休、とても穏やかなお天気になる予報で今年のラストチャンストが訪れた。
22日(土)
自宅からJR浦和駅まで13km弱を自走し、駅前のローターリーで輪行用に荷造り。
初めての割には上手くいった。
湘南新宿ラインの特快で高崎まで1時間20分。高崎からは上信電鉄で上州富岡へ。
駅前で自転車を組み立て富岡製糸場へ。
15時を回り、日が傾きかけてはいたがまだ場内にはかなりの人がいた。
今日の入場者は5千人を超え、多い日には8千人余の来場者があるという。
入場料@500円。15時半からの最終のガイドツアーに参加して場内を回った。
宿は製糸場正門から300mのところにあるビジネスホテル松屋。素泊まり@5,900円。
古くて快適とはいかないが他の選択の余地がほとんどないので仕方なし。
夕飯は近くの「ホルモン源ちゃん」で一人焼肉。ガンガン飲んで早々に就寝した。
23日(日)
3時半には自然に目が覚めた。
4時半に製糸場正門に行く。門は閉ざされ守衛室に守衛さんが座っているが居眠りをして動かない。
YOUTUBEでラジオ体操をして4時50分出発。まだ真っ暗で、よく晴れて星が瞬いている。
富岡からは国道254号(西上州やまびこ街道)を東に走る。放射冷却で気温が下がり、
防寒のベストを着てとウンドブレーカーで保護したが寒い。特に手が冷たい。
20kmほど走って神流川を渡り、埼玉県に入った頃東の空が赤く染まり始めた。
本庄市長浜に24時間営業の「すき家」があったので牛丼の朝飯とし、体を温めた。
約40kmあたり、寄居で荒川を渡るが大きな道路や鉄道が交差するところでは道が分かりづらく
玉淀大橋の位置が分からなくなり一つ上の鉢形で越すことになり時間をロスした。
この後ホンダの寄居工場のところで254号の旧道へ入り小川町へ。
ここで約50kmずっと走ってきた254号と分かれ県道30号(飯能寄居線、別名″相模街道″)へ入る。
ときがわ町、越生町、毛呂山町、日高市と南下し、飯能市で299号と合流する。
日高市高麗川から飯能へ越えるところがちょっとした峠になっており、ここに宮沢湖がある。
この辺りが75km地点でコースのほぼ中間になる。ここのコンビニでジャムパンを買い
コーヒーを飲んだ。時間は11時を指していた。
30号が終り、飯能市を抜けるのが厄介。飯能警察署から街の東側を南下し、
阿須運動公園の近くで入間川を渡り、阿須交差点から218号をJR八高線に沿って丘陵を越える。
出た所が青梅市金子だ。そのまま南下すれば16号に入り、横田基地の横を通って拝島で
多摩川を渡り八王子市内に入れるが16号は大幹線で大型のトラックも多いので敬遠した。
金子から63号を西方向に向かい河辺でJR青梅線を越して福生まで南下し、
多摩川橋で多摩川を渡った。渡ったことろはまだあきる野市でここから八王子市街に入り
16号に合わさるルート取りが難しく、スマホのMAP機能と睨めっこを重ね、ずいぶん時間を使ってしまった。
目処が付いて時計を見ると13時半。ここでラーメンで遅い昼飯とした。
ラーメンを食べ終わるともう2時を回り残り40km強、横浜港への到着は17時にはなり暗くなると覚悟した。
八王子市片倉を過ぎて鑓水・絹の道への分岐の山野美容芸術短大まではけっこうな上り坂だった。
そこを左に折れて16号を離れ、鑓水の谷へ下る。ここに絹の道資料館があった。
八王子はもともと長野、山梨、群馬、埼玉など養蚕の盛んなところから生糸の集積する地であり、
特に鑓水地区からは有力な生糸商人が出た。絹の道というネーミングはもともとここにあり、
今回上州富岡からルートを引く時、是非ともここを通過したいと考えていた。時間が押していたが
絹の道資料館には靴を脱ぎ、しばし上がって見学した。そこから小山内裏公園のある
丘陵を越えて町田街道(47号)に出た。
あとは交通量の多い幹線道路をひたすら横浜の港を目指すのみ。東名横浜ICのところで16号と
再合流し、その後16号は保土ヶ谷バイパスで自動車専用道となるので旧道に入り、
東海道線を渡った浜松町で1号と合流、その後西平沼を右折、最後の坂になる戸部の坂を登り、
急な紅葉坂を下ってみなとみらい地区に走り込んだ。時刻は5時30分を回り、あたりはもう真っ暗で
観覧車のイルミネーションや日本丸の照明が眩しかった。
そしてゴールと決めていた赤煉瓦倉庫に17時45分到着。
休憩や道探し、道選びの時間を入れて総時間12時間55分のロングライドが終わった。
決して自転車の走行を楽しむルートでなかったけれどテーマに拘り、
ルーティングを完結させることができて満足度は高かった。
週末の人出で賑わう中華街東門のビルの陰で自転車をばらし、東横、副都心、有楽町の各線を
直通乗入で結ぶ特急に乗って帰宅した。
富岡製糸工場から横浜港赤煉瓦倉庫まで 151.7km
所要時間 12h55m
平均時速 18.2km/h
製糸工場のガイドツアーで、当時横浜までの生糸の輸送ルートについて聞いてみた。
すると、富岡から馬や人が引く荷車等で船着場のあった倉賀野まで運び、そこから利根川の
水運を使って東京湾に運んだのだという。自分が思い描いていたルートとは違い、当てが外れたという感じ。
でも勝手に引いた″日本のシルクロード″ではあったが、走った地域はかつての大養蚕地帯で
あることには間違いはなく、近代日本の形成に重要な役割を果たした地域だ。
走り終えてみて、そこに引いた一本の道はなんだか自分の″作品″のような気もしてくるのである。
我流″日本のシルクロード″ |
浦和駅で実質初めての輪行荷作り
湘南新宿ライン高崎行特快が入ってきた
世界遺産ブームで観光利用客が急増し新設した模様 そうでもないと利用者はほとんど通学の学生さんだけだろう、、、 |
上信電鉄の上州富岡駅
煉瓦造りの製糸工場をイメージ
煉瓦の組み方が同じフランス式
冬は北からの上州のカラっ風を防いでくれそう
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製糸場東繭倉庫 |
ガイドツアー ガイドはボランティアの松本さん 元県庁職員 |
女工さんの寄宿舎と工場長ブリュナの館
まだ明けやらぬ富岡製糸場正門前 4時55分出発 |
神流川を渡り埼玉県神川町あたりで夜が明けた |
国道254号は昔の鎌倉街道 古くから重要幹線である |
寄居鉢形で荒川を渡った
小川町竹沢あたりのJR八高線 ルートの半分以上は八高線に沿って走っている |
越生のお菓子屋 前から気になっていた酒饅頭を買った |
飯能市阿須で入間川を渡る 上流の鉄橋はJR八高線 |
16号を走る大型トラックを敬遠し福生の多摩川橋をあきる野市に越えた
次に秋川を渡る |
富岡製糸場を出てここを経由して横浜港まで繋げるのがコンセプトの核心だった |
絹の道/鑓水の谷 |
絹の道資料館 |
すっかり暗くなって横浜港に着いた
イルミネーションが輝きカップルやファミリーが楽しげに集っていた
横浜中華街東門 単独行者が長居する所にあらず 自転車をばらして地下鉄に乗った |
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