2013年9月2日月曜日

信州鍋倉山小舎40周年

8月30日(金)   前夜祭
   31日(土) 大宴会
9月  1日(日) 解散

昭和48年の夏。大学1年生だった。4年生を中心とする先輩たちが北信濃、飯山戸狩の田舎で鉄道の枕木を使って山小舎造りをやっていた。クラブの2度にわたる合宿を終え、建設現場に駆け付けたが8月も末。もうひと通りの工事が終わって落成式の直前だった。何もできなかったが祝い酒だけは痛飲した。夜小便をしたくて起きたが酔っぱらって外への出口が分からず出来たばかりの台所の流しで用を足した。翌日はもの凄い二日酔いだったが東京へ帰る車に乗せてもらい、小淵沢で下ろしてもらった。東京へ帰る気がせず乗り込んだ下りの普通列車ではボロボロの汚い男の近くに座る人はいなかった。ふらふらと立ち寄った高校時代の親友の家では玄関に上げてもらえず裏口から風呂場へ直行を命じられた。

 昭和61年の6月。会社の仕事繋がりの後輩を連れて出掛けた。10年以上が経ち、本邦最大級の豪雪に痛めつけられた手造りの山小舎は痛み、汚れ、子供連れで出掛けるには不適格になっていて、二代目の小屋の建設が行なわれていた。連れていった後輩にブナの森を見せようと西ノ沢に向かった時、林道の取り付け工事現場と置かれた重機、木々に巻かれた赤いテープと支障木と書かれプレートを見つけた。飯山営林署の鍋倉山ブナ林伐採計画の露見の発端だった。

あの夏から40年。
男も女も子供達も、この地の空気と水と雪と土と生命力の色濃い自然に遊び、育てられた。

40年目の8月の終わりに、記念の宴会が開かれた。
縁深い40名が集まった。むろん縁深いのはその40名だけに限らない、、、




鍋倉山小舎 上の道路から

鍋倉山小舎 坂を下りて沢の手前から

鍋倉山小舎 下から
1986年出来、築27年目に見えるかい
冬は5mの雪に埋れるんだよ
 

8月31日、大宴会の昼間
単身、40周年の記念ライド
戸狩発関田峠、富倉峠越え周遊 78㎢
最大標高差 1076m
獲得標高   1480m
 
スタート
戸狩スキー場曽根集落
06:45
 


温井集落
地球上で人が住むところでは最大の降雪がある地点の一つ


田茂木池と鍋倉山

関田峠への道から千曲川の谷を見下ろす
北信濃の生命力の濃い自然

関田峠手前、大神楽展望台
山は鍋倉山
 
関田峠の歴史


新潟側
頸城平野と日本海が見える
 

光ヶ原牧場と黒倉山北面

 


関田峠を下ると上越市板倉区米増に
親鸞聖人の婦人、恵信尼顕彰の地の碑があった

恵信尼顕彰の地の後、ロードバイクで初のパンク
チューブの交換に失敗、妙高市新井地区諏訪町の滝沢輪店(自転車店)に助けてもらった。
タイヤはサイドも裂け、チューブが脱腸のように飛び出す重症だった。
修理の途中、店の婆さまは昼飯まで出してくれて人情の団子のような店だった。


飯山街道に入り、猿橋で関川を渡る
山は右、妙高山
左、黒姫山

飯山市富倉
富倉蕎麦の里だ
 

越後側から富倉峠への長い登りももうそろそろお終い
飯山へ下って、信濃平、戸狩方面を見る。
美しい田園である。
出発地点へ帰着 15:35
パンクによるロス 00:02:30

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